宇和島城


宇和島御城下屋敷絵割図(伊予史談会所蔵)
地形を巧みに活かした縄張
宗利は天守のほかに、櫓や門なども改修しましたが、堀や石垣などの縄張は高虎のものをほぼ引き継いで、水城の性格を併せ持った平山城となっています。
2辺が海に面し、3辺が海水を引き入れた堀となっている五角形の縄張は、幕府隠密が四角形と見誤って報告したという史実から、後に高虎の巧みな縄張として語られることとなる“空角の経始”の話が生まれました。
しかし、宇和島湾内は江戸時代を通じて、徐々に新田開発などによって埋め立てが進み、幕末頃には周囲はほぼ埋め立てられました。明治以降、残る堀もすべて埋められ、その名残は今の町割りや道路に見ることができます。
また、石垣については、高虎から伊達家のものまで新旧さまざまな積み方を見ることができます。



