宇和島城 歴史年表
| 時代 | 年号 | 西暦 | 主な出来事 |
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| 安土・桃山 | 天正 3 | 1575年 | 西園寺宣久(さいおんじのぶひさ)、板島丸串(いたじままるくし)城(※宇和島城の旧称)の城主となる |
| 天正 15 | 1587年 | 戸田勝隆(とだかつたか)、宇和・喜多両郡に封ぜられる | |
| 文禄 4 | 1595年 | 藤堂高虎(とうどうたかとら)、宇和郡7万石に封ぜられ、板島丸串城を本城とする |
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| 慶長 元 | 1596年 | 高虎、板島城(板島丸串城)の築城(修築)を始める ※中世の頃は、板島という地名が使用されていた |
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| 慶長 5 | 1600年 | 高虎、今治城を居城として移り、板島城に城代を置く | |
| 慶長 6 | 1601年 | 板島城の築城工事完成 | |
| 江戸 | 慶長 13 | 1608年 | 高虎、伊勢の津に転封 富田信高(とみたのぶたか)、宇和郡10万石に封ぜられ、板島城を本城とする |
| 慶長 18 | 1613年 | 信高改易され、宇和郡 10 万石は高虎預かりとなる | |
| 慶長 19 | 1615年 | 12月 28日、伊達秀宗(ひでむね)、宇和郡10万石に封ぜられ、翌年3月入部 ※この頃より板島に代わり宇和島という地名が使用され始める |
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| 明暦 3 | 1657年 | 秀宗の五男、宗純(むねずみ)が分知願いを出し、吉田3万石を分知。宇和島領は7万石となる 秀宗隠居し、三男宗利(むねとし)が2代藩主となる |
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| 明暦 4 | 1658年 | 6月8日、秀宗死去 | |
| 寛文 4 | 1664年 | 城普請(寛文の大改修)着手、寛文11年落成する | |
| 寛文 6年頃 | 1666年 | 天守、追手門完成 | |
| 元禄 6 | 1693年 | 宗利隠居し、宗贇(むねよし)が3代藩主となる | |
| 元禄 9 | 1696年 | 徳川幕府から宇和島領7万石を10万石に直すことを許可される | |
| 宝永 8 | 1711年 | 宗贇死去し、村年(むらとし)が4代藩主となる | |
| 享保 20 | 1735年 | 村年死去し、村候(むらとき)が5代藩主となる | |
| 寛政 6 | 1794年 | 村候死去し、村寿 ( むらなが ) が6代藩主となる | |
| 文政 7 | 1824年 | 村寿隠居し、宗紀 ( むねただ ) が7代藩主となる | |
| 天保 15 | 1844年 | 宗紀隠居し、宗城 ( むねなり ) が8代藩主となる | |
| 安政 5 | 1858年 | 宗城隠居し、宗徳 ( むねえ ) が9代藩主となる | |
| 文久 3 | 1863年 | 7代宗紀、浜御殿の一角に隠居所として南御殿を築造し、居を移す | |
| 慶応 2 | 1866年 | 天赦園完成 | |
| 明治 | 明治 2 | 1869年 | 5月版籍を奉還し、宗徳、宇和島藩知事となる |
| 明治 4 | 1871年 | 大阪鎮台の所管となる | |
| 明治 22 | 1889年 | 伊達家に払い下げられる | |
| 昭和 | 昭和 9 | 1934年 | 天守と追手門、国宝(現行の重要文化財相当)に指定される |
| 昭和 12 | 1937年 | 宇和島城が国の史跡に指定される | |
| 昭和 20 | 1945年 | 戦災により追手門が焼失する | |
| 昭和 24 | 1949年 | 天守と城山の大部分が宇和島市に寄付される | |
| 昭和 25 | 1950年 | 文化財保護法施行により、天守が重要文化財となる | |
| 昭和 35 | 1960年 | 天守を解体修理(昭和 37 年修理完了) | |
| 平成 | 平成 28 | 2016年 | 御作事所跡等が国の史跡に追加指定される |