城山マップ

宇和島城の郭と石垣
写真右上の番号は「城山まっぷ」と対応
本丸
城内では天守をはじめ、もっとも多くの建築物が備え付けられた郭となります。
石垣も幕末頃に「切込ハギ」で修理された部分と元々の「野面積み」の部分が同じ面で一度に見ることができます。

二之丸
天守の建つ本丸の最終防衛施設としてその直前に置かれた郭で帯曲輪と連結して本丸を取り囲むように配置されています。
本丸までには櫛形門(一の門)、二の門、三の門を通らなくてはたどりつけませんでした。

三之丸跡
内堀をめぐらし、周囲を石垣と土塀で囲んだ堅固な郭です。慶長6(1601)年から延宝4(1676)年まで御殿が置かれた藩の中枢でした。
御殿機能の移転後は側室の休息所等に使われましたが、文久3(1863)年には取り壊され、調練場として使われました。
近代以降、堀は埋められて市街化し、目に見える遺構は山裾の石垣のみになりました。

三之丸御殿再現CG(VR宇和島城より)
藤兵衛丸
高虎の創建時期となる慶長6年頃の古い石垣の特徴をとどめた「野面積み」の石垣です。
城内では2番目、築造当時は日本有数の高さでした。高虎の石垣の特徴である反りを持たない直線的な勾配で築かれていることが良くわかる石垣です。

長門丸
長門丸の名称の由来は、高虎配下の重臣の名前だと言われ、伊達家の居城となった後もそのまま使用されました。
石垣には算木積みが用いられています。寛文年間(1661~1673)の大改修のものと考えています。

代右衛門丸
名前の由来は藤堂高虎の家臣矢倉大右衛門(※)と考えられています。
石垣は、城内最古のものから最新のものまで、バリエーションに富んでいます。幕末に修理された石垣の高さは15mあり、城内で最も高い石垣となります。
(※)伊達家の資料では「代」の文字が使われています。

井戸丸
深さ約11mの井戸を備えた郭です。城内の水場を守るため堅牢な造りとなっています。
幕末に作り直した記録が残されていますが、その記録が井戸縁の石に彫られており、城内唯一の金石文です。

式部丸
井戸丸と並ぶ井戸を備えた郭ですが、江戸時代前半の絵図には郭名の記載が無く、江戸時代後半になって伊達家の家臣「山崎式部」の名前から式部丸と呼ばれるようになったと考えられています。
横矢掛かりのための石垣の折れが顕著です。

くるわ・やぐらの表記について
一般的な用語としては「郭・櫓」ですが、伊達家の資料では「曲輪・矢倉」が使用されており、城内施設の固有名称として使い分けしています。