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うわじま牛鬼まつり

うわじま牛鬼まつりの写真

南予一円に広がる祭礼の主役「牛鬼」(うしおに)

毎年7月22~24日に開催される「和霊大祭(われいたいさい)・うわじま牛鬼まつり」は、見ごたえ十分の幻想的な夏の祭りです。
うわじまガイヤカーニバル、ブラスバンド/鼓隊パレード・子ども牛鬼パレード、宇和島おどり大会、海上花火大会、親牛鬼パレードが同時に開催され、牛鬼の練り歩きや踊りなどで、宇和島は祭り一色に染まります。

牛鬼は5~6メートルの牛をかたどった竹組みの胴体に丸木で作られた長い首と恐ろしげな鬼面の頭、剣をかたどった尻尾がついており、全身はシュロの毛または赤色の布で覆われています。

『枕草子』には「名おそろしきもの――牛鬼」と記され、近隣の村にはほら貝を鳴らすような声をあげて走り回る牛鬼を山伏が退治した説話もあります。

一番の見どころは最終日の夜に行われる「和霊大祭 走り込み」。たいまつに照らされた川面で繰り広げられる勇壮かつ幻想的な祭り絵巻です。

長い首を打ち振り 勇ましく練り歩く

牛鬼はうわじま牛鬼まつりの花形で、数十人の若者に担ぎあげられ、子どもたちが吹き鳴らすブーブーという「ブーヤレ」(竹ぼら)の音を従えて、長い首を打ち振りながら練り歩き、家ごとに首を突っ込んでは悪魔払いをします。

宇和島おどり大会の写真
宇和島おどり大会
海上花火大会の写真
海上花火大会

牛鬼の歴史

頼山陽(らいさんよう)著「日本外史」によると、「豊臣秀吉が加藤清正に朝鮮出兵を命じた文禄の役(文禄元年・1592年)に武将加藤清正が韓国の慶尚道・晋州にある、晋州城を攻めるときに、亀甲車を造って城の上から射おろす矢や、投げつける石を防いだのが始まり」と言われている。亀甲車とは、堅板で箱の形を作り、それを牛革で包んで、牛の生首を棒に刺しその先に掲げ、中に兵士が入って攻め戦ったものと言い伝えられている。

文禄2年6月に、それぞれの大将は、兵を合わせ、晋州城をとり囲んだ。清正(加藤清正)の兵士は城の周囲を埋めつくし、竹で作った楯をかざして応戦したが、城の上から射おろされる矢や、投げつけられる石は、雨が降り注ぐようであった。清正は、そこで、亀甲車というものを造り、その車に兵士を乗せて、城の下にせまり城の根元に穴を掘った。すると、城の高殿(こうでん)や、物見やぐらが崩れ落ちた。清正は、黒田長政とともに城に攻め入り、各大将もこれに続いた。

昭和初期の牛鬼練りの様子の写真
昭和初期の牛鬼練り

城の守将(しゅしょう)・徐禮元(じょれいげん)、金千鎰(きんせんいつ)の両将軍と激しく交戦し城を陥落した。

この武勇伝を、藤堂高虎が宇和島に伝えた。その後、天保11年頃に、宮の下村(現北宇和郡三間町)または、成妙村(なるたえむら)の庄屋備忘録(庄屋文書)に牛鬼のことが触れられていた。(残念ながら、現在のところこの庄屋文書は残っていない。)この朝鮮出兵の際に使われた亀甲車の話が、宇和島やその周辺に、牛鬼というものが出来た起源であろうといわれている。

来村の保田に牛鬼の付属品を入れていた箱があり、この箱には弘化2年(1845)の年号が入っていた。明治になって、保田の牛鬼を宇和島の山際が譲り受け、それを新田町にもって来たといい伝えられている。

また、宇和島でも有名な丸穂村の牛鬼は、江戸時代末期頃から、お祭りで参勤交代の大名行列を模した奴踊りに「お槍ふり」をしていたが、明治末期頃から牛鬼が登場し、今日まで受け継がれている。

吉田町の牛鬼の写真
吉田町の牛鬼

形の資料として残っているもので一番古いのは、江戸時代末期頃の祭りの絵巻に牛鬼が出ている。この絵巻は、北宇和郡吉田町の祭礼絵巻である。少し宇和島の牛鬼と形が違うが、今でも吉田町の牛鬼は、この形で継承されている。

また、南宇和郡御荘町・城辺町・一本松町などの牛鬼には「とろりよ」という練り歌が唄われている。

どの地域の牛鬼にも共通するのが、「かいふき」である。竹の筒に穴を開け、ほら貝のように「ブー」と大勢の子どもたちが吹きながら牛鬼に続いて練り歩く。これは加藤清正が、晋州城に亀甲車で攻め入る時に、この笛を吹き鳴らしたと言い伝えられ、それが、そのままお祭りの形になっている。

吉田祭絵巻に出てくる牛鬼の写真
「吉田祭絵巻」より

牛鬼はこのように、愛媛県の南予地方に広く分布しており、それが、すべて藤堂高虎によって伝えられたのか、藤堂高虎の話が少しずつ分布し、各地でその武勇をたたえ広まったのかは定かではない。ちなみに宇和島の牛鬼の歴史はおよそ200年と言われている。

現在の宇和島の牛鬼のように、胴体に赤い布(きれ)をかぶせる様になったのは、昭和の初めからだと言われている。

かいふきの写真
「かいふき」

うわじま牛鬼まつり 親牛鬼パレード(ダイジェスト 70秒)

うわじま牛鬼まつり 親牛鬼パレード(210秒)

牛鬼の仕組み

祭りなどで、牛鬼が街を練り歩く姿は、迫力があり壮観です。首を上下左右に振って暴れまわっているように見えます。

牛鬼は5~6メートルの牛をかたどった竹組みの胴体に、丸木で作られた長い首と恐ろしげな鬼面の頭、剣をかたどった尻尾がついており、全身はシュロの毛または赤色の布で覆われています。

祭りの神輿などと違って、あの形のまま保存されているわけではありません。祭りやイベントの前に組み立てられて、出現します。

どのような工程で作られるのかをここで紹介しましょう。

(1)まずは、竹を用意し、裂くことから始めます。 この竹は、牛鬼の胴体に使われます。
(2)頭です。箱に入れられて、保存されています。 この写真の頭は、頑丈で、軽い、グラスファイバーを使って製作されています。
(3)竹を裂いています。 大体、1/4~1/6の幅に裂いていきます。
(4)牛鬼の胴体の基礎となる部分です。 パーツに分けられて保管されていて、写真のように組み立てていきます。
(5)胴体の基礎となる木組みに、細く裂いた竹を使って少しずつ胴体の肉付きを作っていきます。
(6)前の写真では、胴体の横幅、この写真では胴体の縦幅を作っていっています。 このときも、さきほど細かくさいた竹を使っています。
(7)前の写真の工程の後ろからの様子です。
(8)高さと幅を決めた竹をベースに、格子状に竹を組んで肉付きのいい胴体に仕上げていきます。張子を作るときの要領に似てますね。
(9)胴体の形が出来上がったところで、竹同士と竹とベースに木組みを縛っている縄をもう一度しっかり結びつけていきます。
(10)最後に布をかけて胴体の出来上がりです。 頭と首は、祭りやイベント会場に行ってからセットします。
(11)こうして組み立てられた牛鬼は、祭りやパレードで豪快・勇猛に練り歩き、観る者また担ぐ者を魅了します。 (写真は和霊神社前の須賀川にて。牛鬼まつり最終日に行われる「親牛鬼パレード」の最後には、川の中で練ります。)

基本情報

お問い合わせ

うわじま牛鬼まつり実行委員会

〒798-0060 愛媛県宇和島市丸之内1-3-24
宇和島商工会議所内

電話 0895-22-5555
(宇和島商工会議所)
開催日 毎年7月22日・23日・24日
※変更の可能性があります
駐車場 付近の無料駐車場またはコインパーキングをご利用ください。
※最盛期には駐車できない場合がありますので、なるべく公共交通機関をご利用ください。
公式サイト https://ushioni.gaina.ne.jp