JavaScript機能をONにしてください。 四国屈指の荘厳な大社「和霊神社の歴史」【宇和島市観光物産協会】
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vol.1 四国屈指の荘厳な大社 和霊神社の歴史 History of the Warei Shrine


法円寺の高の墓

第5幕(江戸時代):六反地の山家清兵衛室の墓

高知県窪川町六反地において、清兵衛の妻「高」が客死した。その亡骸(なきがら)を六反地に葬った。

その後、明治に入り、宇和島の法円寺に分骨し、埋葬した。


和霊神社(現在)階段


和霊神社(現在)本殿

第6幕(江戸時代):和霊神社になるまで

本社ははじめ、下村の森安に児玉明神として祀られ、更に承応2年(1653)桧皮杜に山頼和霊神社として還宮され、京都の吉田家より奉幣使を迎えて、神祇勧請(かんじょう)の儀式を行い、次に明暦2〜3年(1656〜57)には、向山に移し、これより更に、享保16年(1731)現在地の鎌屋城跡に5代藩主、村候により本造り神社が建立され、今日に至っており、又村候は下記の詠歌を送っている。


奉納 伊達村候
あふぐぞよ、この松山に宮居して
ゆくすゑ守れ やまより(山頼)の神


本尊はもちろん山家清兵衛であり、他に子息、塩屋匠一家を祀っている。

その後和霊神社は、空襲により焼失しましたが、昭和32年に見事再建されました。


高知県高知市の和霊神社

第7幕(江戸時代):坂本家の守護神"和霊神社"

宝暦12年(1762)坂本龍馬の先祖、坂本家6代直益が建立した。一説には、この直益が、山家清兵衛の詠歌「山家初冬」を知り、いたく感動し、守護神を「和霊神社」としたという逸話が残っている。


山家初冬
やまざとは きのうのあきのいろもなく 
しぐれもよおす そらぞさびしき

「初代宇和島藩主秀宗と私(山家清兵衛)の関係は、秋の山のもみじように真っ赤で華やかな関係だったのに、どうして今は寂しい関係になってしまったのだろう」という、清兵衛の心のわびしさが詠われている。

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