郷土学習本
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13 幕末・明治の宇和島書かれた蘭らん学がく書の翻訳をさせ、藩兵の洋式訓練を行いました。嘉永6年(1853)ペリーが浦うら賀がに来航した同じ年に村むら田た蔵ぞう六ろく(後の大おお村むら益ます次じ郎ろう)を召めし抱かかえ、兵学・蘭学の講義をさせ、軍艦かん製造を命じ、宇和島藩は独力で蒸気船の製造に成功しました。 経済政策にも力をいれ、和紙や木もく蝋ろうなどの専売制を強化し、陶とう器・しょうのう・かつお節 ・いりこなどの産業を育成、農・漁村を発展させました。 こうして藩内改革の成功で力をつけた宗城は、薩摩(鹿児島県)、土佐(高知県)、越前(福井県)の開明的な藩主たちといっしょに幕ばく政でも活躍、「四賢侯」の一人として、名実ともに全国に知れ渡ることとなります。 明治維い新を迎えると、宗城は新政府の閣僚りょうに任じられます。鉄道・電信・灯台・造幣へいなど近代化事業に尽力し、また外交関連の高官としても、明治4年 (1871) には日本と清(中国)との間に日にっ清しん修しゅう好こう条じょう規きを締てい結する大任を果たしました。 また宗城は人材育成にも力を入れました。そこで育った藩士たちが明治になって学問・政治・経済といったいろんな分野で大活躍、日本の近代化に貢献したのです。▲イギリスの軍艦旗(公財)宇和島伊達文化保存会イギリス艦隊が宇和島に来たときに伊達家家紋の旗と交換▲穂ほ積づみ 陳のぶ重しげ:法学者▲大おお和わ田だ 建たけ樹き:国文学者▲児こ島じま 惟これ謙かた:裁判官▲土ど居い 通みち夫お:実業家● 明治に活躍した元 宇和島藩士たち ※詳しくは「宇和島の偉人」で紹介しています木蝋:ハゼノキという樹木からとれるろうそくや木製品のつやだしの原材料兵学:兵士の使い方や戦術などを研究する学問  造幣:お金を作ること

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