ぶらり宇和島城下
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Dコース 須賀川界隈ゆかりの先達たち大おおみや宮 庫くらきち吉明治19年~昭和47年 1886   1972-宝酒造中興の祖- 宇和島井上家に生まれ、大宮家の養子となる。25歳の時、「日の本焼酎」を作り大成功をおさめ、清酒松竹梅で有名な四方酒造(後の宝酒造)に招聘される。昭和20年には社長に就任、郷里を思う念強く、宇和島市公会堂新設の際、巨額の寄付を行い、大宮ホールとして名を残す。写真 ( 宝酒造株式会社)大おお和わ田だ 建たけ樹き安政4年~明治43年 1857   1910-鉄道唱歌の作詞者- 宇和島藩士の生まれ。14歳で9代宗徳に講義したほど優秀であった。明治19年(1886)東京高等師範学校の教授となるも4年後に退職、文筆に専念。国文学・随筆・紀行文・詩歌に厖大な作品を残す。特に詩作に心を傾け、民衆に親しまれる作品を数多く残した。写真 ( 宇和島市立中央図書館)アーネスト・サトウ天保14年〜昭和4年 1843   1929-親日の英国外交官- 文久2年(1862)イギリス領事館員として来日。日本語を自在に駆使する日本駐在外交官の先駆者である。慶応3年(1867)兵庫開港問題の情報収集のため、宇和島(樺崎砲台)に寄港、8代宗城と親交を深める。6山やんべ家 清せい兵べ衛え(公きんより頼)天正7年~元和6年 1579   1620-悲運の総奉行- 米沢生まれ。仙台藩主伊達政宗の抜擢で初代秀宗の総奉行となる。財政難を立て直そうと献策するが反対派により陥れられ、元和6年(1620)6月30日夜、秀宗の命により一家斬殺となる。事件後、災変が多く清兵衛の祟りとされ、秀宗は承応2年(1653)和霊神社を建立、以後「和霊様」として藩内外から厚く信仰されることとなる。肖像画 ( 金剛山大隆寺)2写真 (宇和島市立中央図書館)和霊公園宇和島駅中なか野の 逍しょうよう遙慶応3年~明治27年 1867   1894-早世の漢詩人- 南予中学(現宇和島東高等学校)、第一高等学校より東京帝国大学漢学科に進学。正岡子規・夏目漱石らと同窓となる。卒業後は執筆活動を行い、日本近代詩の先駆となった。急性肺炎のため、わずか28歳で、死去。墓所は光国寺(Bコース)。和霊公園写真 (港区立港郷土資料館)Dコース 須賀川界隈ゆかりの先達たち番号は散策ポイント●●21 番号は散策ポイント

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