ぶらり宇和島城下
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穂ほ積づみ 陳のぶしげ重安政3年~大正15年 1856   1926-日本法律学の租- 宇和島藩士穂積重樹の二男。藩校明倫館に学び、明治3年(1870)16歳の時、貢進生に選ばれて大学南校(東京大学の前身)に入学、さらに開成学校に進み法律学を専攻した。33歳で日本初の法学博士となる。写真 ( 宇和島市立中央図書館)高たか野の 長ちょうえい英文化元年~嘉永3年 1804   1850-シーボルトの弟子- 陸奥水沢生まれ。文政3年(1820)から蘭医学を学び、同8年シーボルトに入門。天保9年(1838)「戊戌夢物語」で開国論を唱え入牢となるが、脱獄し各地に潜伏。8代宗城の庇護を受け、宇和島で蘭学教授、兵書翻訳、久良砲台(現愛南町)の設計に従事。肖像画 ( 奥州市立高野長英記念館)56晦まい巌がん和お尚しょう寛政10年~明治5年 1798   1872-勤皇の僧- 宇和島藩士の生まれ。出家してのち宇和島藩伊達家の菩提寺大隆寺の15世住職となり、7代宗紀・8代宗城の帰依を受ける。宗城の国事奔走にあたり諸公卿、諸侯間を往来し助けた。著書に「晦巌日記」47巻ほか。4前まえばら原 巧こうざん山文化9年~明治25年 1812   1892-伊達の黒船の開発者-村むらかみ上 天てんしん心明治10年~昭和28年 1877   1953-画禅一致の思想- 伊予八幡浜生まれ。天保9年(1838)宇和島に来住、細工師としての技能が認められ御船手方に登用される。8代宗城から蒸気船建造を命ぜられ長崎へ遊学、安政3年(1856)建造に着手し3年で完成させた。 幼い時より独学で絵画・彫刻・漢学・禅林等の世界を学び、才能を発揮。自ら天心派と名乗る。昭和15年(1940)に描かれた西江寺の畳八畳敷きにも及ぶ「閻魔大王像」は、「えんま様」と呼ばれ親しまれている。37歳に大分県杵築に転住、墓所は大分県安住寺。肖像画 ( 宇和島市立歴史資料館)写真 (釣鼇山安住寺 )22肖像画※頂ちんそう相 (金剛山大隆寺)C コース 辰野川界隈ゆかりの先達たち20C コース 辰野川界隈ゆかりの先達たち

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