ぶらり宇和島城下
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南海に伊達あり!   初代 伊だて達 秀ひでむね宗天正19年~万治元年  1592   1658-独眼竜政宗の長子- 仙台藩主伊達政宗の長男。3歳で豊臣秀吉の猶子となる。慶長元年秀吉の猶子として元服、秀の字を受けて秀宗となる。徳川の世に移ると、慶長7年徳川氏の人質となり、同14年家康の命により彦根藩主井伊直政の娘亀を夫人とする。 父政宗が秀宗の去就を気に掛ける中、慶長19年(1614)大坂冬の陣の戦功により、宇和郡10万石を拝領、翌年宇和島に入部。治政の中で、総奉行山家清兵衛との確執により、和霊騒動が起こる。明暦3年(1657)の隠居の際、五男宗純に吉田3万石を分封した。伝秀宗所用の甲冑 (宇和島市立伊達博物館)宗贇所用の甲冑 ((公財)宇和島伊達文化保存会)5代 伊だて達 村むらとき候享保10年~寛政6年 1725   1794-中興の祖- 4代村年の長男。「三百諸侯中屈指の良主」と評されるほどの賢君。農政強化・風俗矯正・身分制度の再建などを行い、藩財政の復興に尽力した。寛延元年(1748)藩校内徳館(のち敷教館→明倫館)を設立し、宇和島の教育推進機関とした。「拾遺詠草」「拾遺外集」を刊行。2代 伊だて達 宗むねとし利寛永11年~宝永5年  1634   1708-寛文の大改修- 初代秀宗の三男。兄宗時の死後、宗時の後を継ぎ諸制度の制定に努めるとともに、寛文4年(1664)より数年を費やして城郭の大改修を行い、天守を新造、御殿を移転させた。また領内検地やそれに続く「くじ持制度」を断行、土地制度を変革させた。祖父、父に似て和歌に長じ「自詠愚草集」一巻がある。4代 伊だて達 村むらとし年宝永2年~享保20年 1705   1735-早世の藩主- 3代宗贇の三男。製紙を奨励し、その専売制度を実施し、植林を促し林政を整えるなど、産業振興に着手。なお享保の大飢饉も村年の治世。享保20年5月、参勤交代の帰途、急病のため、播州加古川にて卒する。3代 伊だて達 宗むねよし贇寛文5年~正徳元年  1665   1711-元禄の高直し- 仙台藩主伊達綱宗の三男。貞享元年(1684)3月、宗利の二女三保姫の婿養子となる。元禄8年(1695)、吉田分知で7万石に減っていた石高を10万石に戻す高直しを幕府に願い出て、翌年許される。宗利所用の甲冑 ((公財)宇和島伊達文化保存会)村年所用の甲冑 ((公財)宇和島伊達文化保存会) 襲封25歳卒去68歳 襲封29歳卒去47歳 襲封7歳卒去31歳 襲封24歳卒去75歳 襲封11歳卒去70歳龍龍龍龍金金龍墓所:龍華山等覚寺墓所:金剛山大隆寺16 南海に伊達あり!   宗贇所用の甲冑 ((公財)宇和島伊達文化保存会)

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