龍光院は元和元年(1615年)宇和島藩の初代藩主として伊達秀宗が入部したとき、宇和島城の鬼門に当たるこの場所へ、伊達家・藩・領民の安泰を計るため鬼門の鎮として建立されました。
四国霊場第40番札所観自在寺の奥の院は始め、離れ島の九島にある願成寺(鯨大師)でした。
都から遠く文化の恩恵が少ないこの地を残念に思った弘法大師が、四国八十八ヵ所霊場の開創を発願し、成就されたのを記念して建立されたのです。
寛永8年(1631年)巡拝の便利が良いようにと
| 所在地:宇和島市天神町1番1号 |
天然記念物の二重柿は、柿の実の内部にもうひとつ別の実ができるめずらしい品種。この二重柿には、弘法大師が
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![]() ▲二重柿は樹齢300年 |


津島の松尾トンネル付近に復活した遍路道の脇に、ひっそりと建つ庚申堂。ここにも弘法大師の逸話が伝えられています。
むかし親孝行な兄弟がおり、それぞれ地蔵菩薩を信じ、
その後兄弟の子孫は代々長寿で栄えたことから、地蔵堂と青面金剛のお堂を造りましたが、乱世となり子孫はちりぢり、お堂は壊れ像は埋没してしまいました。
時は経ち、1681年に祝森で余生を送っていた庄屋が、お告げと導きで青面金剛の石像を掘り出し、安置するために建てられたのが庚申堂です。1900年に再建され、今でも人々の心のより所として大切に保存されています。
| 所在地:宇和島市祝森柿の木 |
弘法大師が開かれたとされる九島の願成寺(鯨大師)を、寛永8年(1631年)にこの地に移したのが、馬目木大師の始まりです。元結掛願成寺と呼ばれていましたが明治に龍光院に合わせ祀られました。
残ったお堂は馬目木大師と呼ばれ、人々の深い信仰の対象となっています。
馬目木大師の名の由来には次のような弘法大師の逸話が伝えられています。
弘法大師は九島の願成寺を造られたものの、海を渡って九島までお札を納めに行くのは不便なため、宇和島の海岸にあった渡し場に遥拝所を設けられました。ここに札を掛けよと、馬目木(ウバメガシ)の枝を立てていたものが、いつしか根付いて葉が茂るようになったのだそうです。
| 所在地:宇和島市元結掛1丁目1−1 |





静かな田園風景に溶け込むようにひっそりと建つ満願寺。ここには愛媛県指定の天然記念物やいくつかの有形文化財が保存されています。



















