第6幕(江戸時代):和霊神社になるまで
本社ははじめ、下村の森安に児玉明神として祀られ、更に承応2年(1653)桧皮杜に山頼和霊神社として還宮され、京都の吉田家より奉幣使を迎えて、神祇勧請(かんじょう)の儀式を行い、次に明暦2〜3年(1656〜57)には、向山に移し、これより更に、享保16年(1731)現在地の鎌屋城跡に5代藩主、村候により本造り神社が建立され、今日に至っており、又村候は下記の詠歌を送っている。
奉納 伊達村候
あふぐぞよ、この松山に宮居して
ゆくすゑ守れ やまより(山頼)の神
本尊はもちろん山家清兵衛であり、他に子息、塩屋匠一家を祀っている。
その後和霊神社は、空襲により焼失しましたが、昭和32年に見事再建されました。
|