郷土学習本
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64.宇和島には戦国大名はいなかっ 565632037856日振島西予市鬼北町松野町高知県四万十市高知県宿毛市愛南町御五神島戸島竹ヶ島宇和島吉 田津 島三 間051015kmN 宇和島もふくめて南みなみ伊い予よ(南予)には、織田信長のような強力・強大な戦国大名はいませんでした。 そのため、南伊予は土佐(高知県)や豊後(大分県)、周防(山口県)といった強い戦国大名のいる地域からたびたび攻め込められました。そして、食べ物や女性や子供をうばわれる「苅かり田た狼ろうぜき藉」がくり返されたと伝えられています。そのような当時の記録が、三間の辺りを治めていた土どい居清きよ良よし【天てん文もん15年(1546)~明めい暦れき6年(1629)】という武将を主人公にした『清良記』という書物に見ることが出来ます。 『清良記』は豊臣秀吉により四国が制圧され、清良が城からおりた後にまとめられたものですが、記録の少ない戦国時代のことが描かれている貴重な書物です。また城跡も壊されることもなく、良い状態で残されていて、今さまざまな調査が進められています。大おお森もり城じょうと『清せい良りょう記き』三間盆地の真ん中にある高さ約300mの山の尾根の上に、土ど居い清きよ良よしの居城といわれる大森城があります。このころの城は、山を削ったり、掘ったり、盛ったりして守りを固めていました●清良が使っていたとされるよろいより四国清良が城からおりた後たものですが、記録の少ないとが描かれているす。また城跡もなく、れていて、査が。

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