郷土学習本
7/48

53.宇和島の古墳・奈良・平安時代 古墳時代は、今から約1700年前に王や豪族の大きな墓が作られるようになった時代のことですが、いま市内で間違いなく「古墳」と呼ばれるものは、残念ながらありません。でも、その時代に近い土器が三間や吉田では採集されているので、まだ発見されていないだけなのかもしれません。 平安時代にかかれた辞書「和わ名みょう類るい聚じゅう抄しょう」の当時の行政区画をまとめた部分に「三間郷ごう」と「立たち間ま郷」と書いてあり、この2地区にはある程度の集落が出来ていたことが想像されます。そして、三間戸と雁がり地区ではその役所ではなかったかと思われる場所の発掘調査がすすめられています。また、標高1000mを超える鬼ヶ城山系の三本杭の頂上からもなんとこの時代の器が発見され、謎が謎を呼んでいます。565632037856日振島西予市鬼北町松野町高知県四万十市高知県宿毛市愛南町御五神島戸島竹ヶ島宇和島吉 田津 島三 間051015kmN新しい遺跡の発見なるか!?日振島に藤ふじ原わらの純すみ友ともはいたの?●三さん本ぼん杭ぐいから一望できる三間・吉田地区  この時代にもう一つ宇和島の地名がでてくるのが日振島です。藤原純友の乱の本拠地としてこの島の名前が出てきます。島には純友が使った井戸や城跡と伝わるものがありますが、まだ確証がとれていません。証拠がつかめれば、歴史上の大発見となることはまちがいありません!●三本杭山頂で出土した平安時代の器平安時代は国・郡・郷という単位が行政区画となります。今の行政区画と簡単には比べれませんが、国⇒県(愛媛は伊予国)、郡⇒市(宇和島の辺りは宇和郡)、郷⇒町村 というような感じです。

元のページ 

page 7

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です