郷土学習本
28/48

高たか野の 長ちょうえい英 文化元年(1804)~ 嘉か永えい3年(1850)今の岩手県の生まれ。16歳ごろから蘭らん学がくを勉強、当時有名だったドイツ人の医師シーボルトに入門。天てんぽう保9年(1838)幕府を批ひ判はんして捕まりますが脱だつ獄ごくして、8代藩はん主宗むね城なりの助けを受けて宇和島に身をかくし、蘭学教授、砲ほうだい台建設などにかかわります。大おおむら村 益ますじろう次郎 文ぶんせい政7年(1824)~ 明治2年(1869) (村むらたぞうろく田蔵六)今の山口県の生まれ。蘭学を学び医者になります。嘉か永えい6年(1853)、8代宗城に登用され軍艦かん設計などで活躍やくします。宇和島の神じんでんがわ田川沿いに2年ほど住みましたが、その間に塾じゅくを開き、宇和島藩士たちに蘭学を教えました。楠くすもと本 イネ 文政10年(1827)~ 明治36年(1903)長崎でシーボルトと日本人女性のたきとの間に生まれます。医学を学んで、8代宗城に目をかけられ、宇和島で医院を開業、日本で始めての女医となります。また9代夫人宗むね徳え夫人佳よしひめ姫の出産にも立ち会いました。アーネスト・サトウ  天保14年(1843)~昭和4年(1929)ペリー来航の9年後の文久2年(1862)イギリス領りょうじ事館かんいん員として来日。日本語がとても得意な外交官でした。慶けいおう応2年(1867)、軍艦アーガス号で宇和島にやって来て、8代宗城と親交を深めます。26宇和島ゆかりの幕末の有名人

元のページ 

page 28

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です