郷土学習本
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9● 貞てい山ざん公こう御ご教きょう諭ゆ(公財)宇和島伊達文化保存会 政宗が藩主となる秀宗にその心得として与えた教訓 秀宗の宇和島出立が慶長20年2月28日なので、前日に渡したこととなります  覚一 両御所様之御節目、乍勿   論、時々刻々不可存忘  事一 召使之者共に、常々加不  便可召使候、乍去、咎者免 許申間敷事一 不断弓矢之心懸、無 申迄事一 学文之事、口上、付碁将碁  なとの事一 家中之者共、人ヲ与表裏 等之義、能可聞分事 以上 右五ヶ条之外、申度置義 候得共、此外者、手前分別次第 尤二候、猶両人口上二申付候也 恐々謹言  二月廿七日 政宗(花押)   伊達侍従殿一、藩主として取り立ててくれた将軍家(家康・秀忠)への御恩を忘れず、お仕えすること一、仕えてくれるものを大事にしなさい。ただし、罪を犯したものは許してはならない一、常に武芸に励みなさい一、学問に励み、囲碁将棋などもたしなみなさい一、家臣の気持ちをくみとり、その考えを理解しなさい右の五ヶ条のほかにも言っておきたいことがあるが、あとは自分で判断しなさい。詳しいことは両人(志し賀が右う衛え門もん・山やん家べ清せい兵べ衛い)に伝えておく    二月二七日 政宗    秀宗 殿上が今の漢字に直しただけもので、下が今の言葉に訳したものだよ。わかるなかな?むずかしいー!た● 秀宗が使っていたとされるよろい 宇和島市立伊達博物館  島内家という家来のお家に伝わっていたもの志賀右衛門・山家清兵衛は、秀宗の側近たちで、山家清兵衛は後に和霊神社の神様となった人です

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